普通の教室場面では、教師が生の不安の表出にさらされることはまずないでしょう。
むしろ教師がよく出会すのは、不安を寄せ付けないようにする結果起こる行動(理解の欠如、集中力のなさ、混乱)、
あるいは、不安を排除しようとする結果起こる行動(多動、落ち着きのなさ、怒りの爆発)でしょう。
これは生徒が、学校や家庭での関係で、いま現在、混乱した状態にあることと関わりがあるかもしれません。
その一方で、そのときの教科の内容と、とても明確に関わっているのかもしれません。
なぜなら、経験するあらゆる事柄は、無意識のファンタジーを呼び起こすものであり、学校で語られるどんな話題も
心の深層にある何らかのイメージをかきたてるものだからです。
もしこのイメージの存在が強力で、混乱した性質のものだとすれば、一時的にせよ永続的にせよ、
学ぶことは妨げられるでしょう。
数学を例にとってみましょう。
足し算、かけ算、わり算について、子どもの乳児的部分が実際に体験していることは、両親が新たに家族を増やす、
一緒になって赤ん坊を生み出す、あるいは家族の誰か(あるいは身体の一部)が分割されて、離れ離れになるというようなもので、
そうなると全く不可能ではないにしても、計算が難しくなってしまうかもしれません。
私は、ある10歳の少女が、どんな計算の答えも1か、多くても2以上になってはいけないと言い張ったのを覚えています。
1という数字が、彼女自身を表していたことがわかりました。
つまり常に1番でなければならない人物、その人のために地球が回るようなもっとも大切な人物なのでした。
彼女、つまり自分と母親が別々な存在であるということも、しぶしぶにしか認めず、母親と一体化していたかったのです。
3という数も第3者のことを指し、つまり父親も他の子どもも、とてつもなく密接な関係の邪魔は許されず、
どんな計算も合計で2を越えることなどあり得なかったのです。
どんな授業の内容でも、生徒の心の中の意識的、無意識的な問題を反響させるかもしれません。
こうした考えを教室という安全空間の中で扱えば、それを克服するのにとても有効な手段になるでしょう。
たとえば文学は、苦渋に満ちた人間関係を理解できるようになるための基盤を提供できます。
火山などの主題は、身体の空洞や危険な中身にまつわるファンタジーと密接に関わっているため、
大きな興奮や不安を喚起することがよくあります。
理科の教師は、自分がやって見せて、生徒にも行わせる実験ほど客観的なものはないと信じているかもしれません。
しかし混合すること、気体を作ること、分解することは、あらゆる原初的ファンタジーを湧き起こしやすいものなのです。
そのようなファンタジーは、普遍的なものです。
教科とファンタジーとのつながりの強さと具象性に、幅があるだけです。
教科書の中の記号が、あるいは心の中でそれを弄ぶことが、ファンタジーを実際に行動に移すことと同一視されることがあります。
このときには、生徒の学ぶ能力に本当の障壁が生じるかもしれません。
学ぶことに含まれるプロセスは、消化器のシステムとよく似ています。
すなわち、取り入れ、消化し、吸収し、産出するプロセスです。
乳児は、おそらく最初は身体的プロセスと精神的プロセスとを区別していません。
ミルクと愛情を一緒に取り入れ、満足に授乳されると、快の感情を体験します。
のちに精神的体験と身体的体験が、ある程度区別されるようになり、赤ん坊と母親との絆の質は、精神的、情緒的、
身体的レベルによらず、取り入れ、保持し、返すという、後のあらゆる体験の基盤を形成するのです。
知識を取り入れるときの障害
授乳を楽しんだ赤ん坊は、新しい関係や新しい知識に対して、熱心になり信頼して心を開くようになります。
赤ん坊の食欲と好奇心が刺激されると、まずは母親の身体を探索するようになり、
さらにそこからより広い世界へと探索するようになっていきます。
信頼がおけないか、剥奪的な養育を受けた子どもには、知らないことで引き起こされる寄る辺ない感情は、
耐え難いものかもしれません。
ですからそうした子どもは、学ぶということに心を開けず、自分はもう何でもすべて知っているので、
他者を必要としないと信じ込む立場に自分をおくのです。
もし早期の授乳関係で怒りや苦痛が猛威を振るっていると、子どもにとって取り入れることは、
恐怖や不信感や悔恨といった感情と結びつくかもしれません。
あるいは学ぶことへの意欲や喜びの欠如に、単純につながるかもしれません。
同様に、このことが、子どもの心の中で、攻撃するかされるか、征服するかされるか、近づくのか侵害されるのかといった
破壊的なファンタジーと結びつくと、この世界はあまりにも危険すぎて探索できず、好奇心は抑制されてしまうでしょう。
そうした例を挙げてみましょう。
Aさんは大学1年生でした。一般家庭医が彼女の周期的な下痢と嘔吐の発作に身体的原因が何も発見できないということで、
彼女は心理療法に相談に来ました。
Aさんは、健康的な様子の聡明な感じの女性で、学生らしい服装をしていました。
彼女は、お尻を振って歩いてきて、やや反抗的な感じで、私の向かい側に座りました。
私が、問題となっていることを話してくれるように言うと、気乗りしない様子を見せ、不安がっているというよりも、
恨みがましい感じで、すこし状況を話してくれました。
そして、図書館に座っていると気分が悪くなること、講義を受けていると腹痛を起こして下痢をすることがわかりました。
図書館や講義室から飛び出さなければならないのが、彼女は恥ずかしいので、そういった場所に行くことが、
とても嫌だということでした。
他の人が自分のことをどう思うのかが不安なようだと私が伝えると、
「不安なんかではありません。ただ困っているだけです」と遮りました。
そこでさらに私が、彼女はおそらく自分の行動が仲間の学生にどう見られるのかが心配なのではないかと言うと、
いくらか軽蔑したふうに、「心配ではなく…、不安」と応えたのです。
話を続けるうちに、彼女の絶え間ない訂正が、意味を明確にするには全く役立っていないことが明らかになってきました。
彼女は、ただ私の言うことの揚げ足をとっているだけの「ようでした。
私は次第に口ごもり、ほとんど首尾一貫した文脈で話せなくなってしまいました。
この状況にとても狼狽させられていると感じる一方で、よく考えてみると、彼女が話す症状と似ていることが、
ここで起こっているのではないかという考えが、私の中に起こったのです。
つまり彼女の訴える下痢や吐き気が私の中に入り込み、私はある種、言葉の下痢を起こしていたのです。
そこで私はこのことについて、次のように彼女に伝えました。
私の言うことを攻撃することで、ここは問題を共に理解しようという作業(co-operative venture)に携わる場だという事実を
見失ってしまっているようだ、と。
すると彼女は、「共にですって。私は関係っていうのを全くそういう風には考えないわ。
私はいつでも、どちらが上で、どちらが下か、そういうふうに人を見るのよ」と叫んだのです。
このように彼女の教室での教師との関係や、図書館での本との関係の本質がわかり始めました。
知識がある人は彼女の上にいて優位に立ち、彼女に劣等感を抱かせます。
そして、自分は下にいるのだと感じさせられていたのです。
提供するものがある人は、彼女に恥をかかせるために状況を利用しているのです。
このことはひどい憎悪を引き起こし、彼女は彼らが与えるものを攻撃し、ゴミくずに変えてしまうのです。
学問の府である大学にいることで、人生最早期の母親、人生で最初の上にいる人、上(up)/乳房(breast)/心(mind)を持つ人、
との関係において、解決されていなかった原初的感情を蘇らせたのです。
彼女には、あらゆる人間関係は、両者に有益というところからは程遠く、上か下か、優れているか劣っているかと感じられるのです。
このことは、学習のみならず、性体験にも影響を及ぼしていました。
このような乳児的感情は、羨望から生じます。
また感情を抑えがちで自惚れの強い母親、あるいはそうした教師によっても引き起こされるかもしれません。
羨望が優位になると、他人の持つものを台無しにしたい願望が引き起こされます。
Aさんは、私が彼女を理解し援助する能力を持っていると感じたので、私を攻撃したのです。
同様に彼女は、講師や読んだ本の著者に与えられたものを攻撃していたのです。
なぜなら、そうしたものと比較して、自分が小さな存在だと感じさせられていたからです。
こうした攻撃は、たとえば、密かに賞賛されている人の粗探しをするというように、はるかに巧妙に現れてくることもあります。
また破壊行為や他人のあらゆる創造性や美を台無しにするといった、あらゆる攻撃の根底にあるのです。
羨望を回避する方法のひとつは、望ましい資質を持つ人物に自分を投影して、自分が実際にその当人であるかのように体験することです。
そのような生徒は、非常に熱心に学んでいるように見えるかもしれません。
しかし実際には、知識の本質というより、上っ面の知識以上のものは身につけられないだろうと思われます。
時に、その源が明らかにされないまま、盗んで知識が獲得されることがあります。
たとえば、多くの文献から少しずつつまみ出したものを一つにまとめ、すべて自分の作業だとして論文を提出するような学生が
これに当てはまります。
また、食事を待たされる欲求不満に耐えられなかった子どもや、あるいは関心を向けてもらうのに非常に待たされたか、
少しの注意しか向けてもらえなかった子どももいます。
そのような子どもは、教えてもらおうとしないし、消化不良を起こすかもしれないので、貪欲に知識を取り入れようとしないでしょう。
12歳のヘンリーの母親は、彼のためにほとんど時間を割くことがありませんでした。
ヘンリーは、担任の話を聞くことにはほとんど我慢できず、いつも手をあげては、答えはもうわかっていると言うのです。
彼は、家に多くの本と百科事典があって、内容のすべてを丸呑みしていたようでした。
ヘンリーに、狂気じみた方法によらずとも、知識を取り入れるのに十分な余裕と時間があることを確信させるには、
長いあいだ教師がかなり多くの注目と忍耐を示さなければなりませんでした。
それから(スプーンを差し出されたときの赤ん坊のように)明らかに全く無関心に顔を背けてしまう子どももいますが、
これは実際には、差し出された精神的糧を拒絶しているのです。
こうした子どもは、外界からやってくるものはすべて危険で、失望させられるものだという疑惑を体験してきたのかもしれません。
知識を消化し、定着させる難しさ
「彼の記憶はザルだ」、「右の耳から入って左の耳に抜ける」、「あらゆることが抜けていく」、
これは、体験を保持する能力が欠如しているような人を表現する言葉です。
ケースA
マイケルは、いわゆる通常のクラスで授業を受けても、自分の役に立てられないでいました。
ペンをなめたり、上着のボタンを指で弄んだりしながら、窓の外を見て座っています。
彼は、発達に遅れが認められていたものの、教師がしっかりと注意を向けさえすれば、熱心に反応を返してきますし、
教師の話についていくこともできるのです。
その様子からは、彼が決して知性がないというわけではないということがわかりました。
マイケルにとって学ぶということは、何らかの概念を考えたり、発展させたりするというより、むしろ教示されるものを
繰り返すことや模倣に基づいていたようです。
担任は、彼のことを愛らしい子どもだと思っていましたし、両親も彼を愛していました。
教師が調べたところ、マイケルは育てやすい赤ん坊でしたが、乳児期には、母親が病弱な兄の世話で頭がいっぱいだった
ということでした。
母親がマイケルにかまってやれる時間のあるときでさえ、情緒的には、マイケルのためにそこにいたとは言えなかったのです。
このことは、母親には彼のための心のスペースがなく、単に薄っぺらい上辺だけの接触しかなかったこと、
また、マイケルが母親の精神生活から排除されていたことを意味しています。
このような体験は、いろいろな思いや恐怖が、安心して抱えられるスペースも方法もないという感情を引き起こします。
母親の心に自分のスペースがないとわかると、子どもは、母親の中にも自分の中にも、
スペースがあるという感覚を育てることができません。
このような子どもは、要求をすることがほとんどなく、簡単に教師の心から抜け落ちてしまいます。
教師のとっては、注目してほしいという手のかかる欲求を喚起させるよりも、自分ひとりで夢中になる活動を続けさせる方が
都合がよいかもしれません。
マイケルのような子どもは、小集団の環境か、自分のことを包み込み、覚えていてくれる教師のいる補習クラスのような場なら、
もっと成長できるかもしれません。
このような子どもの中に、誰かが自分の苦悩に持ち堪えてくれるかもしれないという希望がもう一度蘇ってくると、
所有欲や激しい感情が前面に出てくることがよくあります。
そこで子どもがもっとたくさん要求したり、ときに攻撃的な感情を表したりするようになると、教師はむしろ、
子どもが悪い状態になってしまったと考えるかもしれません。
しかしこれは実際には、主張したり、欲求を知らせたりするのが、少し上手くなったということなのです。
かなり特別な注目を与えられたということを基盤にして、こうした子どもはときに驚くような進歩を遂げます。
感情が平板で引きこもっているために、どれだけ注意を注いでも不十分な子どももいます。
あるいは、明らかな障害が見受けられないようでも、機械的な模倣や学習をもとに知識を獲得するような子どももいます。
こうした子どもは、一見、賢く知的に思われるかもしれませんが、思考は浅く、豊かであるとはいえません。
経験があまりにも苦痛で、それについて考えられないようなときには、誰しも無思考の状態に陥りがちです。
単にスイッチを切ってしまうか、そうでなければ酒を飲んで悲しみを紛らわせたり、大音響や眩い光の中で我を忘れようとしたり、
あるいは休むことなく動き回ることに埋没するかもしれません。
考えることのできない精神的苦痛は、次のケースのように身体的不調として体験されるかもしれません。
ケースB
ジルはひどい偏頭痛に苦しむ14歳の少女でした。
そのために繰り返し学校を休まねばならないほどでした。
時には続けて何週間も欠席しなければならず、最終的に児童相談所に紹介されてきました。
そこで担当セラピストに頭痛が始まったときのことを尋ねられると、ジルは、学生食堂スタッフの人手が足りなかった日に始まったと、
きっぱりと答えました。
その日は、食堂の全体が混乱していたようで、長蛇の列に並び待たされていた生徒たちは、気が立ち、騒がしくなっていました。
ジルはこの状態が耐え難いと思ったのでした。
その後、ジルは一つのメニューの中の一つ一つの品目の値段を、繰り返し計算しようとしたのです。
彼女は、そのメニュー全体でいくらになるかは知っていましたが、その合計額の内訳を一つ一つ割り出したかったのだと言います。
ジルは、セラピストには礼儀正しく、働きすぎてはいけないと気遣うのでした。
またセラピストのところへ、要求がましく押し寄せてくる何百人もの子どもたちの様子を思い描くのでした。
彼女はまったく感情を表さずに、とても抑揚のない話し方をするので、
セラピストはジルが何を感じているのかを読み取ることが大変でした。
次第に食堂での出来事は、ジルの母親との体験ととても近いものがあったために、
とても混乱させられるものだったということがわかってきました。
ジルの母親は早婚でした。
両親は、何度も喧嘩を繰り返し、数人の子どもをもうけた後、父親は母親の元を去ったのでした。
母親は孤独で、夫の支えなしではやっていけないと感じていました。
そして気持ちの収拾がつかなくなるたびに、子どもたちに自分の心配事を吐き出すのでした。
メニューの一つ一つの品目を細かく計算するというジルの強迫行為は、消化し難い食べ物をただ受け入れるよりも、
母親から受け取るものについて意味を見出すために、母親との体験のさまざまな部分をバラバラにして、
一つ一つ吟味する試みだったと考えられるかもしれません。
ジルの頭痛は、すべきことが多すぎる、あるいは、とてつもなく複雑だと感じるときに起こることが明らかになりました。
彼女は、痛みのための「スペースを作るために」、時々、頭を後ろに倒して頭痛に対処していました。
彼女の頭痛は、十分なスペースがなく、情緒的苦痛に耐えていくために役立つ強さもない母親像を取り入れた結果だったようです。
ジルの母親は、不親切なわけでも、敵対的なわけでもありません。
ただ自分に課せられた事柄に圧倒されているだけである、といつもジルはわかっていました。
ジルは、母親の力を借りずに、自分の困難を自分だけの中に治めようとしていたのですが、今回の状況ではそれが無理だったのです。
先のケースAさんとは違って、ジルは話を聞いてくれ、理解してくれるセラピーに、熱心に、また感謝をもって応じました。
頭痛はまもなく消失し、通常通り学校に通えるようになりました。
彼女は、これまで誰かに自分の気持ちを躊躇することなく受け止めてもらうという経験がありませんでした。
またそれがあり得るという希望も、ほとんど持っていなかったのです。
そのため何か特別の援助を受けるというところからは、程遠いところにいたのです。
精神的苦痛が身体症状として表れて初めて、何らかの介入が必要だと誰の目にも明らかとなりました。
セラピストが、母親よりも不安を包み込める強いパーソナリティを持つ他者として体験されるにつれ、
ジルのパーソナリティのもっと破壊的な部分が明らかになってきたのは、興味深いことだと思われます。
創造することに関する問題
創造することは、自分がコンテインしているものについての不安と直面するということです。
自分は空っぽなのでしょうか?
混乱でいっぱいなのでしょうか?
どんな手段で現在あるものを獲得してきたのでしょうか?
与えられたものに対して、何をしたでしょうか。
台無しにしたり、失ってしまったりしなかったでしょうか?
考えを整理し、まとめ、混沌や混乱を概念化して、人に伝えられる形にできるでしょうか?
創造的な仕事に携わる時、ある程度の不安はつきものです。
しかしそうした状況下で、無力感を抱く人もいます。
人前で発表したり、試験を受けることで、評価され、間違いや不適切さを見つけられるという不安が生じるのは避け難いことです。
試験というものは、試験官に自分の内面を見透かされ、パーソナリティの恥ずべき否定的な側面を発見させるものとして
体験されるかもしれません。
試験官は、非現実的な基準を要求する厳しい判定者として、あるいは次の大人の段階に入れたくない嫉妬深い親として
みなされるかもしれません。
同輩や大人との競争心は、テストをもっと難しい経験にします。
「卒業試験」期間中の学校や大学の雰囲気は、しばしば恐怖と激しいライバル心や絶望感でいっぱいなのです。
「みんな自分のことしか考えていない(every man for himself)」のです。
ケースA:絶望と抑うつ
宿題をするように言われるたびに、「できないよ。何も言うことはないし、とにかくできないんだ」と、15歳のジョンは訴えます。
彼は、友人と遅くまで遊んでから帰宅し、宿題からまぬがれようとするのです。
最初は「怠け者(lazy)」というレッテルを貼られたのですが、のちにジョンには希望がなく、
絶望を感じていることが明らかになってきました。
担任は、この若者が終了試験を受けるべきだと気にかけていたのですが、ジョンが勉強を放棄してしまった様子からは、
合格する見込みはほとんどなさそうでした。
担任が将来について話をしても、ジョンには何の目標もないようでした。
父親は非常に成功した人なのですが、自分が父親のようになれるとは思いもよらないと話します。
ジョンは試験を大人の男性になるための最後の関門としてみなしており、いったん合格すれば、しっかりとした成熟した人間として、
大人の世界に自分の居場所を確保せねばならないと考えていることが、次第に明らかになってきました。
試験をそのようなものとして見るならば、自分の精神的、性的潜在能力が、こうした課題には不適切だと恐れても不思議はありません。
ジョンは、担任と話すうちに、完全に大人としての責任を負うことを期待されるのは、
まだずっと先のことだと理解するようになりました。
このことと「芸術作品(works of art)」を目指すのではなく、短いレポートを書くようにと励まされることで、
ジョンは次第に不安から解放され、あまり絶望感を味わわないで、試験に直面できるようになったのです。
事例B:競争心と勝利
C氏は、早い時期から、その才能を約束されていたフルート奏者です。
両親とも音楽が好きでしたが、才能を十分に伸ばす機会に恵まれませんでした。
C氏は、両親にとって注目の的、誇り、そして喜びそのものでした。
彼は、優秀な音楽の生徒でしたが、演奏前になると、必ず怯えるようになったのです。
いったんステージに上がれば、完璧に演奏し、自分の成功に酔いしれるのですが、あとで虚しさや抑うつ感に襲われるのです。
このことを話しているうちに、彼は演奏することは自分を誇示し、自分が両親よりはるかに成功していると
見せびらかすことだと感じているのがわかってきました。
彼は、両親から受け継いだ才能にも、また自分に良い音楽教育を与えるために払ってくれた両親のさまざまな犠牲にも、
何の恩義も感じていませんでした。
それどころか両親の労働者階級の訛りや、洗練されていないマナーを軽蔑していました。
また音楽との関係でも、愛や献身といったものではなく、むしろ自分が演奏する音楽の創造者であり、
その化身として自らを体験していたのです。
自分はかなり才能豊かだと考えていた一方で、失敗への絶え間ない恐怖に苦しんでもいました。
聴衆はやっきになってミスを探し、結局、自分の不完全さを暴こうとしているのだと想像していたのです。
言いかえれば、彼は自分が両親に感じているのとまったく同じように、聴衆は自分に勝ち誇りたがっているのだと経験していたのです。
自分の成功は、他人の犠牲の上に成り立っていると感じられていたので、聴衆は消耗し、深い怒りを密かに抱いていると思えたのです。
引用文献
イスカ ザルツバーガー‐ウィッテンバーグ (著), E. オズボーン (著), G. ウィリアム (著), 平井 正三 (翻訳), 鈴木 誠 (翻訳), & 1 その他(2008)