「心の居場所」、「より所」というと、どのような場が思い浮かぶでしょうか。
居場所という言葉だけを聞いて多くの人たちが思い描きやすいのは、家庭、故郷、会社、友達、親、子ども、学校など
何か所属感や帰属感をもたらしてくれるものかもしれません。
思うに、これらは安心感と言い換えられる何かです。
例えば「家」を居場所と感じている人はかなりいます。
家というのは、人の集まりである家族、その単位としての家庭、そして居住空間である家屋の3つが考えられます。
ちなみに、生きがいという言葉に関して、大学生や社会人を対象にアンケートを取ってみると、
自分が拠って立つところを何に求めるかは、かなり年齢差や男女差があるように見えます。
若い人たちには、学校、勉強という人が多いのに対して、成人男性の多くは、仕事と家庭といいます。
女性は、成人期には家庭が多く、次第に趣味や仲間になっていきます。
さらにいえば、日本人の心性もだいぶ変化しているようで、以前はほぼ70%以上の男性が仕事の世界で生きていたのに、
今では40%以上の人が家庭こそ重要と考えるようになってきました。
確かに、心のより所は「家庭」、「家族」だと考える人は多いかもしれません。
安心できるホームということです。
この延長に、自分の居場所は住まい、土地だと考えている人がいます。
和辻哲郎が「風土」(1935)で述べているように、人は土地に特別な結びつきを求めるもので、
その原型が、故郷に対する強い思いです。
つまり、家屋や部屋、あるいはもっと広く故郷を居場所だと感じる可能性は高いのです。
確かに多くの人は、自分が高い値段を出して買った家、育った家、受け継いだ家に特別な思いがあります。
これには、それなりの生態学的根拠があります。
より原始的な生き物には、場所が非常に重要だからです。
よく犬は主人に、猫は家になつくといいます。
その意味は、実際に犬や猫を飼っていると非常によくわかりますが、でもそうでない面も多々あるということに気がつきます。
たとえば、犬でも特にオスは、マーキングをして縄張りを強く意識させますし、
猫も自分にやさしい人とそうでない人ではかなり対応が違います。
対象を求める気持ち、つまり対象希求性と、自分を抱えてくれる環境や庇護空間を求める気持ちは、どちらも生物にとって、
多かれ少なかれ重要な2つの軸のようなものなのです。
つまり、その適応パターンによって、どちらを前面にした生活をするのかの違いなのです。
犬はどちらかというと主人に依存する生活パターンを、猫は自分を守ってくれる空間に依拠する生活パターンを
長い進化の歴史において獲得してきたのだと思います。
故郷への思いも同じようなもので、帰巣本能(巣に帰ろうとする思い)をもつ動物はたくさんいます。
それは一種のテリトリーです。
行動生物学など、空間を一種のテリトリーと見なして研究する学問でも、人間は縄張りに近いものをもっていると見なされています。
ですから、この感覚の起源は古い層にあるのです。
精神分析家のウィニコットによれば、赤ん坊が一人の連続した存在になるためのプロセスでは、
環境から抱えられることによって「いること being」が保障される必要があります(Winnicott, D. W. 1965)。
この抱えられる環境が失敗すれば、身の置きどころがなくなり、まだ自立していない自分がいることすら難しくなります。
それゆえ、日本の精神分析家である北山修は、「居場所」とは「自分が自分であるための場所」であると述べています(北山, 1993)。
それは、ありのままの自分を抱えてくれる場といういみなのです。
つまりここで「居場所」の意味するところは、その人がその人らしくいることが保証される場、ということです。
おそらくここには、2つの意味があります。
つまり、自分らしくできる場所という意味と、安心して人といられる場所という意味です。
ウィニコットは、早期の抱える環境が絶対的に重要なものだと述べましたが、それは主に安心ということと関連しています。
このことは、多くの心理学者が指摘してきたことです。
最近では文部省までもが、学校が「心の居場所」になることを目指すと述べていますし、
不登校の子どもたちが年々増えていることから、学校とは別のフリースクールが設置されるようになり、
そうした不登校児たちが安心して集まれる場所のことを「居場所」と考える機会も増えています。
やはりここでも、安心感、あるいは安心して人といられる場所という意味が強調されています。
その原型は、ホームです。
引用文献