「ホーム」とは、基地のような感覚や所属感、あるいは生きる理由といった面があります。
心理療法の結果として得られる「心の居場所」とは、「心」という言葉がある分だけ、少しニュアンスが異なります。
安心感のある場所は確かに重要ですが、そこにはもう一つの、「自分らしくある」という意味が欠けているからです。
ヘルマン・ヘッセの有名な「車輪の下」を思い出してもらいたいのですが、
主人公ハンスは優秀な模範生で、さまざまな期待を背負って聖職者になるべく神学校に入学します。
彼にとってそこが居場所であり、運命によって導かれた場所でした。
ところが自由奔放な友人の放校を機に、しだいにこれまでの居場所に疑問を持ち始める。
そしてついには神経症になってしまいます。
家も学校も、彼の居場所になりえなかったのです。
彼が、冷たい川のなかで自らの命を絶ちます。
この小説は、ヘッセ自身の神経症的な体験がモデルになっていると言われていますが、
このように、家族や学校が抱える環境でいられるのは、思春期までのことなのです。
いつまでも自分が人と安心して共有できる場所にこだわっている人は、ハンスの神経症のように、八方塞がりになりやすいのです。
ここで、私たちが安心を求める気持ちには一種のパラドックスがあることがわかります。
つまり、安心感は大切ですが、それを求めてこだわると、自分がひとりでいられなくなるのです。
なぜなら、私たちの心の傾向、つまり物や対象があるとそれにしがみつきやすい心性は、
かえって心の居場所を狭める可能性があるからです。
引用文献