指示待ちの子のコンプレックス
ああしなさい、こうしなさいと言われれば動くけれど、指示がなければ自分からは自発的に動こうとしない。
その心理はどのようなものなのか。母子関係の背景を探ることにする。
A子(7歳)の母親は、A子の養育が生活のすべてと言ってよいような母親である。
とてもよく気がつく。
そして、A子が何かしないと思うと、すぐにそのことに気付いて、
ああ、こうしたいのね、ああしたいのねと、それをすぐ口に出してしまう。
A子の母親には、なんでも思ったことを口にしないでは気が済まない面がある。
長い間の習慣で、この母親の先取りがもう当たり前になってしまったA子は、
自分から何かをするという意識がどうしても遅れがちである。
心の中で、ああしたい、こうしたいと思うと、自分がそれを口にし、主張する前に、母親がそれを悟って口にしてしまうからだ。
そして、自分から動かなくても、母親がやってくれるか、あるいは、自分に指示を与えることになる。
「ああ、そのことをやりたいのね」と言われて初めて、A子はそうしようという気持ちになる。
あるいは、「今そういう風にしたいんだったら、早くしなさい」と言われると、やっとやる気が起こる。
実は、A子は幼い時からピアノのレッスンを続けている。母親は、A子がすばらしいピアニストになることを夢みている。
だから、ピアノについては、毎日、相当ハードな練習をこなさなければいけない。
しかし、A子はいっこうに自分にとって重要なレッスンだという気持ちがない。
母親が「さあ、ピアノの時間よ。やらなければいけないから」と言われて初めてピアノを始める。
もっとひどい時には、そこまで言われてもまだ、他の事をやったり、テレビを見たりしていて、なかなかレッスンに取りかからない。
母親が「さあ、早くやりなさい」と言って、初めて不承不承ピアノに向かう。
母親も「こんな風でほんとうにピアニストになれるのかしら」と、A子を非難する。
「もう少し自分のことと思って、しっかりやる自覚が大切だわ」と言う。
しかし、母親は、自分があまりにもA子のピアノレッスンを先取りして、
「やらなくちゃ」を口にし、「やりなさい」と指示を与えないとレッスンを始める気にならない、
そうしたパターンがA子の身についていることに気付いていない。
A子の心について、ピアノだけでなく、そのすべてに母親の先取りがあまりにも徹底しているために、
A子は母親の言葉を耳にしないと自分の気持ちがはっきりしたものにならないし、母親の指示がないと動き出さない、
そうした、ロボット的な心の持ち主になっている。
どうしてA子の母親は、こんなに先取り型なのだろう。
一つは、あまりにもA子の生活が母親の生活のすべてになりすぎているためだ。
もう少し母親自身の生活があって、同時にA子も、という心の在り方になってもいいだろう。
しかし、この母親は、自分がなりたくてなれなかったピアニストになる夢をA子に託している。
母親の心にはA子に対する同一化がある。
しかも、この同一化がかなり濃厚である。
A子のピアノの成功、不成功は、自分自身の成功、不成功である。
そのために、その注意の向け方は本当に大変なものだ。
今のままでは、ピアノのレッスンだけでなく、それこそ何をするにも母親の先取りのために、
A子は自分らしさや自発性を発揮する機会を失ってしまう。
指示待ちの子ども達は、自分からこうしよう、ああしようという積極性に乏しい。
また、自発性が欠けている。
そして、とても依存的だ。
どうしてそんな風な心の状態になってしまうのか。
A子の場合のように、母親があまりにも先取り型で、
A子が自発的に何かをやりたいという意欲を持つ以前にそれを口にし、また指示してしまうケースがある。
この場合にまず大切なことは、A子が自分から何かをやりたいというニーズが起こる、そういう場面をつくることである。
自分からやらなかったらどうしても困る、そういう現実に出会うことが、A子が自分を発揮するために必要な条件である。
自分でやらなかったら、どうにもならない、そういう現実に出会った時初めてA子は自分の力を発揮する。
そして、一度そういう状況で自分らしさというものを実感した時には、
それ以後、自分の自発的な意欲や意志を多いに発揮するようになるに違いない。
また、A子が自分からこうしたいな、ああしたいなと言うまで待つ、
「ママ、こうして。ああして」と、A子の気持ちとして頼むまで待つなど、そうやって少し距離を置いてみる。
そうすると、A子自身の気持ちが先に語られ、また、自分からこうしたい、ああしたいという意欲も積極性も湧いてくるだろう。
引用文献