精神分析からみれば、病気はメッセージであり、サインであり、兆候であり、無意識からの贈り物です。
もちろん、苦しいことや痛みを伴うことが多いので、そう考えることが難しいのですが、
病気を契機として、もし自己を振り返り、人生を振り返る、そうした眺望が見えてきたら、
病気はそうした新しい意味を担うことになります。
フロイトは優秀な生理学者でした。
そもそも彼が精神分析という名前を作り出す前に研究していた生理学の仕事は、今日でも歴史的なものです。
失認症という言葉を作り出したのは彼ですし、そのほかにも小児麻痺の優れた研究があります。
コカインを医学的に使用して、友人を中毒患者にしてしまったという悲劇的な業績もあります。
彼が優れた科学的思考、因果論の持ち主であったことは、1885年頃に、すでにニューロン説に近いモデルを組み立てていたことからもわかります。
そういう人物だから、精神分析を体系化できたのです。
その彼が、科学的な因果論に限界を感じるようになった理由は、心の病気と出会ったことでしょう。
第一に、それは自分自身の神経症でした。
フロイトは、若い頃から汽車に乗るときに不安になるという神経症的な症状に加えて、
成人になってから高齢の父親が亡くなって、めまいを含めた心身失調状態が生じました。
彼はそれを自分の分析することで、脱出したのです。
そのプロセスを描いた本が有名な「夢判断」で、夢の科学的な説明とその分析方法が書かれています。
フロイトがこの着想を得たのは1895年のことですが、
1900年6月12日付の、友人で、当時文通で彼の治療者のような役割を果たしていた耳鼻咽喉科医ヴィルヘルム・フリース
(この人はバイオリズムの祖と呼ばれる人で、全ての人間の調子が一定の周期で上がり下がりすると信じていました)
への手紙の中で、「いつかこの家に次のように書いてある大理石盤をみることになるだろうとあなたは信じられますか。
「1895年7月24日、ここでジークムント・フロイト博士に夢の秘密が解き明かされた」」と、やや興奮気味に書いています。
「今のところその見込みはほとんどありません」とはいいながらも、ここでフロイトは「夢判断」における夢の解釈方法と
夢の意味についての理論とを世に送ることに少なからぬ自信を示しています。
それが「夢判断」なのです。
この本は1899年に出版されましたが、彼は1900年の出版としました。
世紀の本だと思ったのです。
当初、この本はほとんど売れませんでしたが、現在ではフロイトが予言した墓碑銘は実際にありますし、
「夢判断」は世界中で翻訳されているロングセラーです。
第二に、フロイトが出会ったヒステリー患者たち、そして後にはさまざまな神経症者たちです。
彼は、家族のために大学の職をあきらめて、開業医になりました。
その彼のもとを訪れた人たちはユダヤ人富裕層の娘さんたちで、多くはヒステリー症状に悩んでいました。
脳や神経を研究しながら、この明らかな身体的な原因では説明できない麻痺や記憶障害、さらには二重人格まで発症させる病気と出会って、
彼には、その不思議な現象を説明して、しかもそれを通して治癒が起きるような心のモデルが必要でした。
フロイトがヒステリーに興味をもったことと自分が病気になったこと、そしてそれぞれの治癒は、無意識的に連続しています。
彼は若い時から夢の日記をつけていて、夢のメカニズムに関心がありました。
1885年7月24日に「イルマの夢」を見たのち、「夢は願望充足である」という原理に到達し、夢の分析方法を手に入れました。
そしてさまざまな夢の背景に、無意識的な動因を見出しました。
そのなかで彼は、「父親を殺して、母親と結ばれたい」という潜在的な願望、
つまりエディプス・コンプレックスを人間発達における普遍的な原理にまで高めたのです。
フロイト自身の病気が治癒しました。
彼が自分の主観的な世界、記憶の断片を掘り起こすことで、心の中が全体的に変化しました。
そしてその治癒が、ヒステリーや他の神経症の治癒のモデルにもなった。
自己分析による内省が、他者治療と連動しているのです。
これが精神分析的方法の原型です。
特に精神分析的心理療法についていえますが、それらが対象とする心の病、失調状態は、
多くの場合、長年にわたる問題が無意識から顕在化したものです。
それは顕在化した危機についてのメッセージです。
ある意味で、それはどんな病気、特に身体的な慢性疾患も一緒です。
あるいは、危機的な病理的な社会現象でも同じです。
フロイトが「夢判断」の次の本、「日常生活の精神病理学」で書いたように、
私たちの意識的な失敗は、無意識的には成功なのです。
それは過失達成、(今まで専門用語としては失錯行為、錯誤行為と翻訳されてきましたが、
正確な訳は、意識的な失敗が無意識的な成功という意味の接合語)です。
意識的には病気や問題、つまり症状symptomは、それらを通して、無意識の累積的問題の象徴symbolとして働いているのです。
個体の問題や生体の危機、あるいは社会の危機を伝えているのです。
その解読は決して簡単ではありません。
何重にも累積したさまざまな因子が多元的に重なっているからです。
システム論の言葉を使うなら、多重システムが複雑系を形成しているという言い方でもかまいません。
精神機能、パーソナリティ傾向といった比較的客観的な軸、そして症状という主観的な軸が、
症状のあらわれるまでの経路で重複決定して綾になっているといえます。
フロイトは、この綾が単純な因果関係ではなく、身体や精神、そして精神構造にまで関わる多層のものだということを発見しました。
さらに精神分析が重要なのは、これらの綾を解くための手続きを定式化し、それから無意識の入り口を築いたことです。
精神分析からみれば、病気はメッセージであり、サインであり、兆候であり、無意識からの贈り物です。
もちろん、苦しいことや痛みを伴うことが多いので、そう考えることが難しいのですが、
病気を契機として、もし自己を振り返り、人生を振り返る、そうした眺望が見えてきたら、
病気はそうした新しい意味を担うことになります。
引用文献