現代社会において対象を愛せないこと

 

 

フロイトやヒトラーの時代に比べて、経済的な豊かさが日常化した先進国で、今もっとも問題とされている神経症は、

 

ナルシシズム、ナルシス的退行である。

 

環境的な欠損や戦う敵は明確ではなく、目の前にあるのは漠然とした不確実性だけである。

 

退行を引き起こす条件は揃っている。

 

中東やアフリカのように政情不安定な局地では、フロイトの時代と同じことが繰り返されている場もあるだろうが、

 

今の日本においては現実的ではないだろう。

 

 

 

現代社会での群衆や集団行動の研究でもっとも有名な著作は、社会学者デイビット・リースマンの「孤独な群衆」になるだろう。

 

「自由からの逃走」を書いた精神分析家エーリッヒ・フロムと同じように、

 

リースマンは社会心理学と社会学を橋渡しをして、現代の群衆の姿を描いている。

 

そこでは、高度消費社会の中で、工業化に成功し、経済的な豊かさと移動の利便さに浸った都市生活を享受する現代人の

 

想像力の枯渇や空虚感について論じている。

 

欲求不満と疎外といった特徴を持つ群衆は、共通の理念や立場、あるいは哲学で党派を組むような「伝統志向的」だったり

 

「内部志向的」だったりする集団ではなく、ひたすら他者の振る舞いに合わせて迎合する「他者志向的」な人々が集まり、

 

群衆となっていく。

 

マスメディアはこの傾向を助長すると述べた。

 

その意味で彼らは、共同行動を取らず、それぞれが「孤独」なのだと、リースマンはいう。

 

 

 

そうした群衆は、フロイト的な意味で同一化するような退行を起こすのではなく、つまり行動化を起こすのではなく、

 

個々別々にナルシシズムの段階への退行を起こしやすい。

 

フロムの言葉を使うなら、大衆はすぐに逃げ出す場所を求める。

 

その場所は、「理想化による(権威への)同一化」ではなく「ナルシシズム」なのである。

 

飢餓や潔癖、あるいはコントロール不全といった、基本的な日常生活の中でのリスクの問題は、高度経済成長の結果、ひと段落して、

 

生存危機の時代は、限定的な戦争場面以外は、去った。

 

アメリカの歴史家クリストファー・ラッシュが述べたように、大衆を支配しているのは、「ナルシシズム」なのである。

 

彼らは効率主義的な現在という短い時間に絡め取られて、官僚主義が前面に出た社会のなかで、

 

自己啓発と自己中心主義に支配されているとかなり批判的に論じている。

 

 

 

フロイトが発見したナルシシズムはもともと精神病患者たちの自己防衛のための手段だった。

 

だから外の世界からの攻撃に対する妄想的な不安に簡単に変化してしまう。

 

そして自分だけの「小部屋」に閉じこもることになる。

 

ナルシシズムは、現代人の自我を表現するのに、もっとも的確な言葉だといえるだろう。

 

 

 

ナルシシズムの現代的、具体的事例として、大きな問題となっているのは「引きこもり」だ。

 

日本だけを考えてみても、不登校する子どもたちは、子どもたちの全体が減っているのに減少していない。

 

また社会的な引きこもりは厚生労働省の推計やその他の統計で、おおよそ60万人ほどおり、若者が家から出て来なくなっている。

 

さらにその周辺には、「パラサイトシングル」と呼ばれる、未婚で親と同居している独身の青年から中年が1275万人、

 

つまりその年齢の四人に一人が独身で、家から出ていないのである。

 

彼らは社会全体の動向として結婚しないで、家から出ないので、未婚化、さらには少子化の深刻な原因になっている。

 

 

 

フロイトは、自己愛から抜け出してリビドーを対象に向けていき、思春期になったら配偶者を見つけて、

 

自身の家庭を持つプロセスを「対象愛の方向性」と定義したが、現代は対象愛への方向が失われているといえるだろう。

 

先進諸国で蔓延している少子化には、政策的、経済的な対策が急務だろうが、個々人の心の問題として見直すなら、

 

人間の心が対象愛に向かっていないという問題がもっとも深刻だろう。

 

若者から中年までのパラサイトシングルは、その意味で対象愛に対する動機を失ってしまっている。

 

 

 

 

引用文献 

 

妙木浩之(2017) 寄る辺なき自我の時代 現代書館