人間というものはお互いを恐れる生来の傾向を持っている。
パーティに出かけて自分が知らない人の隣にいると気づくと、不安を克服しようとして、
「どちらにお住まいですか?」などと空疎な質問をするものである。
そうこうするうちに誰かがやってきて、飲み物を手渡してくれると少しホッとすることもある。
エヴァ・ローゼンフェルトという分析家の番組を聞いた時のことを思い出すが、
彼女はウィーンにいた頃のフロイトとその家庭をよく知っており、客をリラックスさせるのに飲み物を出さずに、
冗談を言うのが彼らの習慣だったと話している。
私はここにいる皆さん全員を恐れている。
また両親を恐れている。
上司や私のもとで働いている人たちを恐れている。
私は妻を、子どもたちを、自分の患者たちを恐れている。
お互いに対するこの恐怖は未知のものに対する恐怖であり、それは他者の中にも自分自身の中にも存在している。
ビオンはある時、こう言った。
もし君がこれから面接室にやってくる患者を恐れないとしたら、何かが間違っているに違いない。
なぜなら、君には何が生じてくるのかあらかじめわかっているということだからだ、と。
それがわかっているのだとしたら、出会いが持つ意味とは何なのだろうか?
この事態、すなわちこの恐怖を乗り越えることは、情緒的な課題なのである。
文献
ネビル・シミントン著、成田善弘監訳(2007) 「臨床におけるナルシシズム」 創元社